ゴリゴリ感想を書こう!
人の脳ミソの中では、そのプロセスも結果も明確に意識されることはない複雑な
処理が、平行多重にしかも瞬時に行われている。
キーワードは「駄洒落」だ。それは「相関の算出」でもいいし「連想」でもいい
だろう。
人間は複雑で高度な駄洒落マシーンだ。もちろんこの場合の駄洒落は広義の
駄洒落であり、音韻だけでなく視覚といった他の感覚、リズムといった不可思議
なシーケンス、さらには、それらを上位統合する記憶、経験、複雑にからみ
あった概念(毒蝮三太夫のみとりあげてもそれは相当に複雑な概念だ)、これら
複雑に絡みあった記憶痕跡たちがそれぞれに相関を瞬時に計算し、他の一連の
記憶痕跡に連想を波及させて行く過程を示している。
脳内に何かの駄洒落=相関関係を呼び起こすことを「ロジック」というならば、
「ボーリング三太夫」にはロジックがある。
一見「ロジックの破綻した無茶苦茶なこと」に見える何かも、実は脳内に複雑に
刻まれた相関関係のある面をなぞり、記憶痕跡の枯野に火を放っているのかも
しれない。
「何かがなぜ面白いのか」について、未だに明確な何かを言うことができない。
しかし、些末で意識されえないロジックが絡み合う瞬間に、何かが起こっている
のではないかと予感している。
さて、以上にてじじいの小言終わりです。
本来なら各作品について感想をかくところですが、だらだらと書いているうちに
すっかりタイミングを失ってしまったようだ。申し訳ない。
最後に、議長のしーもす様、壇つな様はじめスタッフの皆様、楽しい競演をあり
がとうございました。
「ボーリング三太夫」
せっかく詰めにくいさんが提示してくださったのだからボーリング三太夫
について語ろう。
「ローリングサンダー」
について駄洒落を作るようお題を出されたならば、「ボーリング三太夫」は
間違いなく優れた作品だ。ダジャレストは見習ってほしい。
だが、これは駄洒落ではない。いや、狭義の駄洒落ではないといったほうが
よいだろう。馴染みの単語の音韻をなぞらえていることは確かであり、それは
駄洒落とよく似ている。
駄洒落は明確な起点と終点が短距離で結ばれる。これとこれの音韻が似てい
ますね、さあどうですか、というわけだ。
さあどうですか、といわれても困るが、駄洒落を語る人は無言で
「さあどうですか」と問いかけがちだ。
駄洒落が引き起こす周囲の困惑は、駄洒落自体ではなく無言の「さあどう
ですか」に起因するという事実を、ダジャレストは肝に命じるべきである。
スタイリッシュであるべきということ。だから、駄洒落は難しいのだ。
話がそれた。ボーリング三太夫に戻そう。
「ローリングサンダー」に対する駄洒落が「ボーリング三太夫」だとしたら、
これはなかなかよろしい。
お題に「ローリングサンダー」をもってくるあたりのセンスが光るし、
ボーリングというやや野暮ったい部類のスポーツと三太夫・・・ここでは
毒蝮”ババアこの死にぞこないが”三太夫と断定してしまおう・・・との
組みあわせには妙味がある。
だが、この文脈は「民間療法/健康法」だ。狭義の駄洒落であるならば
明確であるべき起点も終点も、行き場を失って宙に浮くばかりだ。