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| [50] (削除)2002/06/13(Thu) 23:11 |
| [49] アズーリ 藤山高志 2002/06/13(Thu) 23:10 |
| 相手に引っ張られてもよく伸びる イタリアのユニフォームはモッツァレラチーズ100%。 ほどよく汗の染み込んだトッティのユニフォームなどは サッカーファンのみならずグルメすいぜんの的である。 |
| [48] インドがW杯にでれない理由 藤山高志 2002/06/13(Thu) 22:42 |
「左手は不浄の手なので セービングに使用してはならない」 ヒンドゥーの教え |
| [47] 翻訳 page 2002/06/13(Thu) 01:34 |
| 明治初期は、「蹴玉」と呼ばれていた。 |
| [46] 11人いるみたい page 2002/06/11(Tue) 23:16 |
| 11人制だけでなく、 9人制、6人制、5人制、2人制、1人制 のサッカーもあり、 じつは、これらから、 野球、バレーボール、バスケットボール、テニス、卓球 は発展したのだが、 もはや共通点の原種競技を持つとは思えないほど、 各種競技は分化し独自の進歩を遂げている。 |
| [45] 理由 ナマクラ 2002/06/09(Sun) 04:23 [URL] |
| Jリーガー達がサッカー選手になったきっかけの中には、 「かつて少年ジャンプでキャプテン翼を読んでいたから」 というケースが少なくない。 が、実はその中には「キックオフを読んでいたから」と いう真の理由を告白できなかった者も多々含まれる。 |
| [44] ゴールポスト GIN 2002/06/09(Sun) 03:35 [URL] |
| ゴールポストに投函される投書の第一位は「ポストが白いのはやっぱり違和感がある」というものである。 |
| [43] スポーツを通してみる経済史 BEE 2002/06/08(Sat) 18:47 |
| サッカーのゴールネットは、ハンドボールのゴールネットやバレーボールのネットと違い、ここ40年ほど小売価格が変わっておらず、「物価の優等生」と呼ばれている。 |
| [42] オリンピックとの関連にまつわる知識 Shi.Ma.Chu 2002/06/08(Sat) 16:32 |
| オリンピックとワールドカップが共に4年おきに開催されるため、競技の差別化が図られており、 オリンピックでは出場選手の年齢に上限が定められている。 しかし、この年齢制限は年々低下していく傾向にあり、 専門家の予測によると、このままでは2040年頃には 出場可能な年齢の上限は12〜13歳程度になってしまうのではないかと考えられている。 記録によると、古代ギリシャのオリンピックでもサッカーが行われていたことが分かっている。 古代オリンピックは男性が全裸で競っていたため、 今のサッカーとは若干ルールが異なっていたらしいと言うことも分かっている。 わずかに残っている記録によると、古代のサッカーは選手の体重に基づいて3階級に分かれており、 個人戦のみが行われており、試合は相手が「まいった」と言うか気絶するまで 続けられていたようであり、目玉や金的への攻撃は反則だった、ということが明らかになっている。 一度だけ冬季オリンピックでサッカーが行われたことがあるのだが、 雪の上ではボールが転がらず、難儀する選手が続出。 他にもサッカーボール大の雪玉を大量に作って相手チームを混乱させたり、 雪の中に埋まったボールを蹴り出そうとして長靴が飛んでいったりと オリンピック種目と言うよりも雪国の小学校の、体育の授業のようであったと伝えられている。 |
| [41] 日本サッカーにまつわる知識 Shi.Ma.Chu 2002/06/08(Sat) 16:31 |
| 奥寺康彦は日本人初の海外リーグで活躍した選手である。 東洋のカンピューターの異名を取り、あっと驚くところから ゴールを決めてみせたり、想像もしない位置からボールを取りにでてきたりと、 ファンタジックなプレーで観客を魅了したが 味方のゴールにボールを思い切り蹴り入れたり、 オフサイドの位置で堂々とボールを待っていたりと おちゃめなプレーでも観客を魅了した。 メキシコオリンピックでの銅メダル獲得以降、日本ではサッカー人気はがた落ちだった。 Jリーグが発足するまで、日本サッカーはいわゆる中世暗黒時代を迎える。 実業団リーグ低迷の責任をチーム内の魔女に求める「魔女狩り」がしばしば問題となった。 錬金術師が自分は鉛からゴールを作り出せると監督に売り込みに来ることも多かった。 「過去のサッカーの栄光を取り戻せ」という、ルネッサンス運動の結果、 Jリーグが発足し、日本サッカー界は再び安定の時代に突入したのだ。 木村和史は圧政をひく代官に民衆を率いて立ち向かったヒーローであり、 30m離れたところからフリーキックで息子の頭の上のリンゴを落した逸話は 日本サッカー界の伝説として残されている。 |