〜インド編〜
第七話
解き放たれた本能のままにの巻
すっかりインドに適応してきた主な例
バラナシにおいて、早朝のガンジスで日の出を拝むのは基本らしいが、
朝の苦手な俺様が起きたのは既に10時過ぎであった。
3時発のニューデリー行きの列車までには、大分時間がある為、
サイクルリクシャーを捕まえ、一応ガートへ行ってみるが、
そこは昨日初めてここへ来た時以上に静まりかえっていた。
本当に、人っ子一人いやしない。
酷暑期の太陽が放つ容赦無い日差しは、
全てのやる気を失せさせる。
それでも、川沿いを散歩していると、
日本人の女性が経営する安宿クミコハウスがあった。
ネパールの日本料理屋・味のシルクロードと共に
バックパッカーには有名な日本人の溜まり場である。
インドには数多い日本人宿の中でも、そこはかなり異質な存在で、
世にも奇妙な体育界系の宿として知られている。
起床時刻や門限が決められている、ということは聞いていたが、
全員で食べる食事をバケツリレーで運んだりするらしい。
心に傷の無い真人間がうっかり泊ってしまうと、その怠廃的ムードの中で
心に傷を受けること請け合いだ。
長期旅行者の使う用語の一つに、「沈没」という言葉がある。
簡単に言えば、居心地の良い一箇所の街を拠点に長く定住してしまう事だ。
バラナシには、そういった世界各国の旅人が多い。
物価の安さもあるのだろうが、ここには何かがあるのだろう。
疲れた者、傷ついた者、失望した者、悟った気になっている者、
過剰な程立ち並ぶ安宿の中には、そういった輩達の居場所が存在する。
そこは異国に有りながら、自分達の国の一部分を切り離してきた様な場所である。
停滞の先には、おそらく何も無い。
しかしそれは麻薬の様に、一度はまってしまうとなかなか抜ける事の出来ない、
穏やかな安息の時間だ。
結局、昼近くのガンジスには、現地人もツーリストも誰一人見掛ける事無く、
何のイベントも発生しないまま、ここを去る事にした。
ホテルへ戻りチェックアウトを済ませた後、
昼食にタンドゥリー・チキンを食べ、移動中に飲む水や菓子などを買ってから、
早めに駅へ行く事にする。
チケットを取った時、当日になるまで
座席の場所が解らないと言われていたので、
ホームでは無く外国人専用オフィスへ向かう。
相変わらず旅行者で賑わっていたが、その中に見覚えのある顔があった。
昨日ここで会った、あの会社員3人組と一緒にいたあの娘だ。
ガイドブックに載っているホテルが潰れていた為、再会出来ずにいたのだ。
そういえば彼女はデリー行きのチケットを手配していたのを思いだし、聞いてみると、
やはり自分と同じ列車だった。
午後3時発、翌朝の6時に到着する夜行である。
座席の確認を済ませた後、まだ時間がある為、
暫くこの幾らか涼しいオフィスで待つ事にした。
彼女に昨日どうしていたのかを聞くと、興味深い事実が明かになった。
自分が昼食の後、3人組の内の一人と行動していたのに対し、
彼女はあとの2人とたまたま会い、
行動していたというのだ。
どうやら、どちらを体験してもおかしく無い別々のルートを、
互いに辿っていたらしい。
さらに、あの山田さんは夜もう一度ヒロシとボートに乗り、
しかも今朝、他の二人は当初の予定であったガヤを飛ばし、
最終目的地カルカッタに向かったのだが、
山田さんは別行動で、バラナシに帰国ギリギリまで残る事にしたというのだ。
まさかそこまでヒロシに入れ込んでいたとは・・・。
旅をしていると、自分の知らない所で起った事を、
後から意外な場所で聞くことがよくある。
人それぞれのストーリーに触れる事は、
例えそれがどんなに些細な事であっても、
この上無く楽しいノンフィクションではないだろうか。
3時になっても、デリー行きの列車は、まだホームに到着していなかった。
噂に聞くインドのダイヤは、昔ほどルーズでは無いらしいが、
それでもまだこんな事は良くあるのだ。
ホームにはイタリア人のバックパッカーがいて、
3人で世間話などしつつ、時間を潰すが、
結局列車が到着したのは、1時間も待ってからだった。
皆これに乗るのだが、それぞれ車両が違う様だ。
自分の乗る車両を探し出し中に入ると、
車内は冷房がガンガンに効いており、まるで別世界である。
寝台は上下二段になっていて、それぞれのシートでくつろぐ人々は、
バラナシに来た時乗った2等の客層とは、やはり違う。
女の人の服装も上品だし、ビジネスマンぽい男性もいる。
上位カーストを鼻にかけた風な、ギャアギャアとウルサいクソガキも確認出来た。
長距離の移動は今だに辛く感じるが、今回は横になれるので楽かもしれない。
朝到着したら、元々予定していたアーグラーへそのまま移動する事に決め、
疲れを残さないよう、とりあえず寝る事にする。
冷房は効き過ぎて寒いくらいだったが、毛布を余計に貰った御陰で、
すぐに意識は薄れていった。
ここには、安心感があった為かもしれない。
色んな意味で一般的なインド社会とは隔離された、冷房の効いた空間。
それが面白いものかどうかは別として、
やはりいつもより警戒心が緩むのは事実だ。
早朝ニューデリーに到着し、ホームを見渡すと、
彼女を見つける事が出来、折角なので朝食でも誘う。
彼女は車内で、イタリア人バックパッカーと座席が近く、
割とお喋りをしていたのだが、イタリア人は彼女と俺様を
日本から一緒に来たカップルだと思っていたらしい。
女に会ったら口説かずにはいられない性分のイタリア人という事もあって、
彼女も敢えて否定せずにおいたのかもしれない。
それで何度か俺様を呼びに行かされたのだが、常時爆睡中だったそうだ。
そんなカップルはいねえよな。
彼女は今日の夜、ここの空港から日本へ帰るという。
デリーでの観光が最後なのだ。
とりあえず、駅の近くにある、安宿、土産物屋などが多く立ち並ぶという、
メインバザールへ行ってみようという事になり、駅を出る事にした。
どちら側の出口から出ればいいのか、イマイチ解っていなかったのだが、
「たぶん、こっちじゃな〜い?」というノリで決める。
実は自分などより彼女の方が旅経験が抱負なのだが、
見た目には自分の方がそう見えるらしい。
どうやら俺様も、ソノ域に達してきたという事か。
ただ汚いだけ、とも言えるが。
駅を出ると、流石にバラナシとは違う、都会的な街並が広がっていた。
駅前にたむろするリクシャーの数も半端ではない。
早速群がってくる彼等を潜り抜け、地図を見ながらメインバザールを探す。
が、全ッ然解らん。
ガイドブックによると表口の方向にあるらしいのだが、
もしかしたら、間違えたのだろうか。
そこで街の道行く人に聞いて見る。
「こっち、表口?」
「イエス、イエス」
一人では当てにならないので、もう一人。
「メインバザールは、こっちでいいの?」
「イエス、イエス」
どうもインド人の信用性に疑問があるので、駄目押しでもう一人聞く。
「イエ〜ス」
ここまで聞けば、どうやら違ってはいない模様。
しかし、どうガイドブックの地図を見ても、
自分達が歩いている街並と重なってこない。
そもそもメインバザールというものの、具体的な姿を良く知らないので、
「ここがそうなのかな〜」
とか言ってる始末。
また朝早すぎて、店など何処も開いていないのも問題だった。
結局一度駅に戻って来てしまい、対策を練り直す。
彼女は路線バスで、旧市街にある観光名所、
レッドフォートへ向かうことにした。
リクシャーを使わないのは、もう殆ど金が無いかららしい。
旧市街は爆弾テロがあったりと、多少治安が悪いので、
自分としてはそのお供を申し出るという選択肢もあったのだが、
先程から気になっていたある事情の為に、
予定していたアーグラー行きを決定し、
最初に誘った朝食も辞めてここでの別れを告げた。
ある事情というのは、止める事の出来無い便意の事であった。
彼女のインドで最後の時間を、自分の便所探しに付き合わせてしまうのは、
男として余りに切ない。
それが更に深刻な問題になりつつあった為、
別れはアッサリせざるを得なかったのだ。
この緊急事態発生に、急いで駅構内へと舞い戻る。
トイレの場所は解らなかったが、何処かのホームにある筈だと思い、
虱潰しに当る事にした。
必死で駆け回り、何とか当たりのホームを探し出すと、
トイレにはすでに、列を作って並ぶ人々の姿があった。
コレハヤバイ。
おそらく、他を探しても一緒だという気がする。
しかし、破滅へのカウントダウンは止る事無く、時は一刻を争う。
少し考えた後、自分の下した結論は真に恐るべきものであった。
「だったら、その辺ですりゃイイじゃん」
「イイじゃん」
「イイじゃん」
「・・・」
いとも容易くそう思うのは、ここがインドだからなのか、
旅の生活に毒されてきたからなのか。
やはり、ソノ域に達しつつあるのかもしれない。
実はトイレ探しの途中ですでに、良さげな物影をチェックしておいた為、
そこへ直行し、そそくさと用を済ます。
野便ネタといえば旅のエピソードとしては王道である。
よく、広い青空の下でするのは気持イイ〜、などという話を耳にするが、
そんな事はもちろん、トレッキング中に済ませている。しかも数回。
しかし、この様な首都にあるデカイ駅のホームで、
というのはナカナカ出来ない事である。
これは、「旅の恥はかき捨て」というよりは、
「郷に入りては郷に従え」という感覚に近い。
それは、インドに来た事のある人間ならば解ると思う。自信無いけど。
因に脱糞ネタは今後も続々登場する予定だ。
これ抜きには旅は語れないと言っても、過言では無い。いやマジで。
非常にスッキリとした所で、いよいよアーグラーへ行く方法を考える事にする。
奇しくも駅の構造が解りつつあり、思う所あってさっきと逆の出口へ出て見ると、
大掛りな時刻掲示板、数多いチケット売り場、インフォメーションなどあり、
往来する人の数も先程とは比べ物にならない。
明かにこっちが表口である。
恐るべきはインド人。
やはり、あいつらの事は信用出来ん。
何がイエス、イエスじゃ〜ボケ〜