投稿時間:1999/11/27(Sat) 02:38
投稿者名:玄界灘男
Eメール:BYW02302@nifty.com
タイトル:「民間療法の母」逝く
大阪あいりん地区で永年住民の健康のためのボランティア活動を
続けていた縹(はなだ)スエさんが亡くなった。享年83才。
スエさんは太平洋戦争で、結婚したばかりの夫を南方で亡くし、
その後は再婚もせずに同地区で飲食店を経営していた。広範囲に
わたる民間療法の知識を使って住民の健康管理に従事しており、
多くの住民に慕われていた。
男性(68)へのインタビュー
「おばちゃん、もおおらへんのやな。おばちゃんの店な、コップ
二杯しか呑ませてくれへんのや。そこまでは薬、それからは毒
やて。あはは。その後必ず柿の甘く煮たん食べさせてくれはっ
たなあ。肝臓にいいんやて。」
女性(55)へのインタビュー
「そか、おばちゃん逝ってもうたんやね。うちの子はね、おばち
ゃんに何度も助けてもろたんよ、ホンマ。風邪ひくとゲンノシ
ョウコ煎じてくれはってねぇ。翌日にはケロっとして走り回っ
てたわ。うちのおとうちゃん、家にお金いれてくれへんかった
から、医者さんにもいけへんかった。おばちゃんおらへんかっ
たら子供もワヤやったわ。おばちゃん命の恩人や。」
男性(49)へのインタビュー
「ええ、スエさんには言葉で言えないほど世話になりました。え、
ああ言葉?ですか。私東京生まれですから。ええ、事業が上手
く行かなくて夜逃げです・・。知った人もいない土地ですから
スエさんがいてくれなかったら、その辺で冷たくなってたでし
ょうね。『すき腹の薬は飯』、よくそう言っては御飯を食べさ
せてもらいました。あの時の私にとって世界一の名医ですよ。
ええ、本当に。」
女性(28)へのインタビュー
「オカアサン、モウイナイネ。ワタシ、サビシイネ。ワタシ保険
ナイネ。イシャ、タカイカライケナイ。オカアサンみみずヲ、
カワカシテセンジテクレタヨ。ワタシ、ネナガラクニノコト、
オモイダシタ。クニノまま、すえオカアサン、ドッチモワタシ
ノタイセツナヒトネ。」
男性(75)へのインタビュー
「縹さんなぁ、若い頃えらい苦労しはってなぁ。日本中行商して
歩かはったらしくて、いろんな土地の事知ってはったなぁ。
貧乏してはったらしくて医者にかかれへんちゅうて薬草やら何
やらに詳しゅうなった言うてはったなあ。わしも現場で怪我す
るとな、よくどくだみ貼ってもろたわ。ここも寂しくなると思
うで。正味な話。」
女性(48)へのインタビュー
「あ、おかあはんの事?そやね、いっつも亡くなった旦那さんの
写真持ってはったわ。古っるい写真やったけど男前の旦那さん
やったわ。旦那さんな、医者やったんやて。軍医になって戦争
言ったんやて言わはってたわ。ほんまやったら先生いわれて、
たっくさんの人に感謝されてお金儲けてたんやて、おかあはん
そう言ってたわ。『世が世なら院長婦人や』て言うて笑ってた
わ。きっと旦那さんの替わりに人になんかしてあげたかったん
とちゃうの。あかん、涙出てきた。お兄さん映さんといてな。」
男性(67)へのインタビュー
「ああ、かあさんなぁ。きっと『あっち』も不景気なんだろうな
ぁ。仕事にあぶれたらかあさんのとこ行くしかあらへんしな。
ここに居た連中もあらかた『あっち』に行ってもうたし、また
かあさんに怒られながら一杯やりたかったんやろな。ホンマ。
そやからちゅうて何もなあ。かなわんなぁ、ホンマ。」