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投稿時間:1999/11/29(Mon) 10:57
投稿者名:壇つな
Eメール:BZK03277@nifty.com
タイトル:ヴォードレール療法


人々がヴォードレール詩集を小脇に抱え、眉間にしわを寄せながら、
ぶつぶつ呟いている。1960年代の大学文学部キャンパスを思い
起こさせる光景だが、そうではない。

ここは民間ガン治療施設「悪の華」。
そしてここにいる人たちは全て末期のガン患者なのだ。

「悪の華」の創設者、来栖洋次院長は言う。

  「会話の中にできるだけ多くヴォードレールの詩を引用する。
  それがヴォードレール療法の全てです。たったそれだけの
  ことでほとんどのガンは縮小傾向にむかいます。」

院長の許可を得て、患者にインタビューする機会を得た。
宮島豊次郎さん(70)、彼は昨年末胃ガンと診断され、様々な病院で
回復の見込みがないと宣告された後、「悪の華」に来たという。

  「正に見捨てられた気持ちでした。「死」がやつて来て、
   新しい太陽のやうに天に昇つて、つまり、僕は死んでゐた、
   驚きもなしに、怖しい夜明けの光が僕を包んでいた!!」

宮島さんはヴォードレール療法を初めてから奇跡的に回復し、今では
通常の食事もとれるほどになった。宮島さんは満面の笑みを浮かべて
こう言う。

  「やはり、自分が好きなモノが食べられると言うのは良いですね。
   夜光の珠の杯よ、味の良いパンよ、口当たりのいい食べ物よ、
   おぉ、美酒よ、僕のフランシスカよ!」

一瞬、フランシスカが誰だかわからずに戸惑ったがそれも詩の出て
くる人物だろうと理解した。今、目の前で昼食を平らげる宮島さん
を見る限り、たった一年前まで現代医学が見放したほどの悪性のガ
ンだったとはとても信じがたい。

自分を見捨てた現代医学についてどう思いますか?
と宮島さんに水を向けると

  「保身ばかり考える怠惰な馬鹿医者め!地獄へめがけ飛び込
   んで行く!よろこんで、僕も一緒に行き度いが、その恐ろし
   いスピードが少々僕の気にかかる。だから独りで地獄へ行き
   な!殺人の悪鬼よ!無惨なるおん身が口の中空に、吹き散じ
   るは、我が脳漿よ、血よ、肉よ!」

すさまじい剣幕に押された私は、早々に退散し、他の患者へのイン
タビューを試みる事にした。背を向けた私に宮島さんが語りかける。

  「また、いらして下さい。ここでは様々な患者さんがガンと戦
   っています。我は、君に捧げまいらせんかな、火が燃ゆるここ
   ろの我が詩を、数知れず夢抱き給う白き面の人よ。」

今までと違う詩風に気づき、振り返ると、宮島さんは笑顔で答えた。

  「お気づきになりましたか。私はウィリアム・バトラー・イェイツ
  療法もやっていますのでね。たまにはケルトの風も良いものです。」

前述の来栖院長によればこうだ。
  「ヴォードレールばかりが効くのではありません。イェイツは
   内臓全般に効きますし、リルケは呼吸器系に効果があります。
   ですが、どんな詩でも効くというものではありません。
   三代目魚武濱田成夫を口ずさんだとたん、下痢が止まらなくな
   ってしまった患者さんもいらっしゃいますから(笑い)」

続いて2年前子宮ガンと診断され、回復の見込みが無いされていながら、
「悪の華」でヴォードレール療法を実践するうち、日常生活を送れる
までに回復した主婦、福島綾子さんにインタビューをすることになった。

すでに福島さんは退院をしており、福島さんの自宅へとおもむいての
インタビューとなった。彼女は退院した後も、日常生活を送りながら
ヴォードレール療法を続けているという

私が福島さんの家に着いたとき、彼女は丁度、買い物に出かける途中
であった。

  「あら、アナタが院長先生の仰っていた方ですね。外を歩きな
   がらのお話でもよろしいでしょうか?
   いざ、我等、船出をしよう、「死」の海へ!」

やや不吉な誘い文句に気圧されて、商店街へ歩きながらのインタビ
ューとなった。ヴォードレール療法が絶大な効果を持つことは理解
できたが、未だに一片の胡散臭さを感じていた私は素直にその疑問
を福島さんにぶつけてみることにした。

  「確かに、最初はヴォードレールなんて全く知りませんでしたし。
   疑いがなかったと言っては嘘になります。でも、ほら、蟻に
   似て忍耐強く、娼婦のように執拗く!!先刻承知だよ!
   ―― 色褪せた雛菊よ!」

そういって、福島さんは、路傍に咲いた雛菊を愛でていた。

ヴォードレール療法は胡散臭いが確かに効果がある。最もらしいが効果の
薄い現代医学とは対極に位置するといえるだろう。我々は果たしてどちら
を選ぶべきだろうか?患者の立場からすれば当然、前者であろう。

やがて、私達は駅前の日の出商店街に入った。

ソバ屋のおばさんが福島さんにあいさつをする。
  「福島さん、こんにちは。もう体の方は良いんですか?」
  「えぇ、もうすっかり。黙せかし、心なの君!憂い知らぬ魂よ!」

少し失礼な挨拶だが、ソバ屋のおばさんは喜んでいるようだ。
退院して以来、いままで地味だった福島さんは名物主婦として有名に
なった。公園などに行くと子供達に囲まれ詩をせがまれることもあるという。

福島さんは困惑した表情でこう言う。
  「『哀れな餓鬼めら!』とか言って追い払おうとするんですけど、
   かえって喜んじゃって…(笑い)子供ってホントにタフですよね。」

そうこうしているうちに商店街の中心部、福島さんが八百屋の前で
立ち止まった。買い物をするようだ。

  「じゃあ、その大根くださいな、哀れなる有耶無耶卿の如き八百屋さん。
   そう、そしてそこの魚屋さん!きみらは両者ともに、暗くて、
   言少なだ。人よ。きみの深遠さの底は、誰も測りえない。海よ。
   きみの内なる豊かさは、誰も知りえない。それほどにも、
   秘密を護るのに固執して!」

  「はいよ、大根ね。」
  「それじゃあ、なんの魚なのかわからないよ!奥さん!」

八百屋さんも魚屋さんも笑顔でうけ答える。
みんな福島さんのことが大好きなのだ。

私はこのインタビューを通して民間療法の究極の姿を見たのだと思う。
周囲の人々が治療を理解し、患者本人のみならず、周囲もまた癒やされる。

それは現代医学ではとうてい及びもつかないような、本当の意味で
の「癒やし」なのではないだろうか

世界中のガン患者がヴォードレール詩集を片手に本来の生活空間で
病気と向かい合える…そんな未来図が私の胸の中に浮かんだ。


                       壇つな(BZK03277)