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投稿時間:1999/11/25(Thu) 11:41
投稿者名:藤木ゲルーシ
Eメール:ZXB03705@nifty.com
タイトル:民間療法14条における諸問題

1 はじめに

去る11月23日に、民間療法(平成11年法律800号)が施行された。
この法律は「民間治療の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの公正
な利用に留意しつつ、民間治療の保護を図り、もって医療の発展に寄与する
ことを目的」(1条)とするものである。
 しかし、後に見るように同法は相対立する利害の調整の結果制定された、
いわば妥協の産物であり、その解釈については厳しい対立が見られる。
 とりわけ罰則を定めた民間療法第14条については、その解釈について理
論上ないし実際上重要な争点が多数存在する。
 本論考は、このような争点の一部を取り上げ、その解釈・運用について、
ひとつの提案をなす事をその目的とする。

2 成立の過程

まず、民間療法制定のきっかけとなったのは、柔道整復士による業務上過失
致死事件(最高裁判所決定昭和63年5月11日、刑集33−8−837所
収)である。
 この事件においては、被害者は妻が医療関係者であるにも関わらず、被告
人たる柔道整復士の指示する民間治療法に従ったため脱水症状を起こし、死
亡している。
 この事件によって「藁にもすがる」患者に対する民間治療の危険性、およ
びこのような患者の保護の必要性が主張されるようになったのである。そこ
で、当初政府は危険な民間治療を規制する目的で「民間療法」の制定を企図
した。
 しかし、このような政府の考えがそのまま現行法に反映されたわけではな
かった。すなわち、民間の治療法を活用することによって医療費の削減を図
ろうとする厚生省と、自党の支援団体に対する「民間療法」の適用を恐れた
公明党が、真っ向から政府見解に反対したのである。彼らは民間治療の活用
こそが財政的・精神的に危機的状態にある現在の日本を救えると主張し、む
しろ「民間療法」は、民間治療を保護・促進する目的で制定されるべきであ
るとした。
 結局政府自民党は大幅な譲歩を余儀なくされ、「民間療法」の目的の一つ
に「民間治療の保護」が明記された。そればかりか、政府の当初の意図は
「公正な利用に留意」するとした部分においてしか採り入れられなかったの
である。

3 解釈上の諸論点

 1 法定刑

 このように「民間療法」には相矛盾した2つの目的が併存しているが、そ
れが如実に現れているのが民間療法14条における「死刑または科料」とい
う、両極端な法定刑である。
 すなわち、この法定刑には(1)一方で悪質な民間治療を規制し、厳罰を
もって臨むこととする当初の政府の意図と(2)一方で民間治療の活用のた
めに、正当な民間治療における不慮の事故について、治療者の刑事責任を軽
減するという反対見解の意図という二重の目的が明白に現れているのである。
 問題は死刑を科すべき悪質な民間治療と、科料を科すべき善良な民間治療
とのメルクマールをいかに解するかである。
 思うに、法の趣旨が(1)「藁にもすがる」患者保護の要請と(2)善良
民間治療の発展にある以上、その両者を総合考慮せざるを得ない。
 すなわち、(1)患者本人の保護必要性の有無(2)善良治療行為といえ
るだけの、治療行為の社会的相当性の有無によって判断すべきである。
 そして、刑法の謙抑性の原則および死刑における人権侵害の重大性からす
れば、その両者とも認められない場合に限り、死刑が科せられると解すべき
であろう。

 2「故意」の内容

  まず、民間療法14条における保護法益は患者の生命であるから、同条
の故意とは「患者の死に対する表象・認容」すなわち殺人罪の故意と同一で
あると考えるのが一般である(甲説)。
 これに対し、治療者が故意で患者を殺すことは一般的でないこと、甲説は
あまりに治療者の主観を重視しすぎていること、さらに治療行為の社会的相
当性を考慮する「民間療法」の趣旨から、同条の「故意」は「社会生活観念
上、患者を死に至らしめると認められる事実についての表象・認容」と解す
べきであるとする見解(乙説)が激しく対立する。いずれが妥当か。
 確かに、民間治療については、その行為・治療者の特殊性から社会通念に
よって「故意」を判断すべきであり、治療者の主観によって故意の有無が左
右されるべきではないとする乙説の価値判断にも、傾聴すべき点はある。
 しかし、あくまでも刑罰は行為者の違法・有責な行為に対して向けられる
制裁であることから、行為者の主観を無視することは出来ない。また、乙説
は条文からあまりにかけ離れすぎているように思う。さらに、民間療法14
条においては重大な過失による患者の死亡についても、故意の場合と同一の
法定刑が科せられており、甲説によっても悪質な事例に対しては「重過失」
を認定して治療者に死刑を科すこともできる。
 このように甲説によっても法の趣旨には反せず、かつ妥当な結論が得られ
るといえる。そうである以上、条文解釈の原則により忠実な甲説を妥当とす
べきである。

 3 「重過失」についての問題。

 民間療法14条においては、治療者が重過失によって患者を死亡させた場
合についても、故意の場合と同じ法定刑が定められている(14条1項1号、
2号参照)。
 これは、民間治療行為および治療者の特殊性に鑑み、重大な過失は故意と
同視しうるものと制定者が考えたためであろう。
 問題は、14条が処罰対象を故意・重過失による患者の死亡に限定してい
るため、軽過失による患者の死亡の場合いかに処理すべきかである。民間治
療が業務上過失致死罪における「業務」すなわち「人が社会生活上の地位に
基づき反復継続して行う行為であり、かつ、他人の生命・身体に危害を加え
るおそれのあるもの」であることについては異論を見ない。
 そこで、治療者の軽過失による患者の死亡について業務上過失致死罪が成
立するか否かが問題となる。
 まず、故意による患者の死亡の場合においても科料が科せられるような民
間治療行為(善良治療行為)については、業務上過失致死罪の法定刑(最高
5年の懲役)との均衡、民間療法14条の罪と業務上過失致死罪とが特別法・
一般法の関係にあることから、不可罰とすべきであるとする点について異論
がない。
 問題は、重過失による患者の死亡の場合に死刑が科せられる悪質治療行為
についても同様に解すべきかである。
 この点、刑罰の均衡、不可罰とすることは社会通念に反するとの実質的考
慮から、悪質治療行為については軽過失による患者の死亡の場合に業務上過
失致死罪を適用すべきであるとの見解も有力である。
 しかし、この見解は理論的裏付けがないばかりか、あまりに実質を考慮し
すぎた恣意的解釈であるといわざるを得ない。
 そもそも、民間療法14条が処罰を「故意・重過失」の場合に限定したの
は、業務上過失致死罪の特則を定め、軽過失を処罰しない趣旨である。とす
れば、悪質治療行為の場合についても、やはり同様に解すべきである。
 なお、実務上の処理としては、悪質治療行為については、そもそもかかる
行為は治療行為ではないとして行為者の治療者性を否定し、業務上過失致死
罪の成立を認めることも考えられないではない(治療者人格否認の法理)。
ただし、この法理には故意・重過失の場合との対比において理論上困難な問
題があるといえる。

 4 未遂

 民間療法14条は、未遂を一切処罰しない(14条2項)。なぜなら「藁
にもすがる」患者の意思および帰責性を考慮すれば、患者の死亡という結果
が生じていない以上、たとえそれが悪質治療行為による未遂行為であっても
刑罰のらち外におくことが望ましいと考えられたからである。

4 結び

 以上縷々と民間療法14条に関する解釈論を述べてきた。
 しかし、拙稿は民間療法制定間もない時期における一つの見解にすぎない。
今後の社会情勢等の変化によっては、私見が無用の長物となることもあるか
も知れない。
 ただ、拙稿が今後の民間療法14条の解釈の発展における一つの踏み石と
なれば、筆者にとって望外の喜びである。